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東京高等裁判所 平成10年(行ケ)227号 判決

平成10年(行ケ)第227号 審決取消請求事件(以下「227号事件」という。)

平成10年(行ケ)第397号 審決取消請求事件(以下「397号事件」という。)

両事件原告

東光薬品工業株式会社(以下「原告東光薬品」という。)

代表者代表取締役

【A】

訴訟代理人弁護士

小川大作

井上文男

白取勉

両事件原告

帝國製薬株式会社

代表者代表取締役

【B】

両事件原告

興和株式会社

代表者代表取締役

【C】

両事件原告

エスエス製薬株式会社

代表者代表取締役

【D】

両事件原告

住友製薬株式会社

代表者代表取締役

【E】

両事件原告

テイカ製薬株式会社

代表者代表取締役

【F】(以下、原告東光薬品を除く原告らを「原告5社」という。)

原告5社訴訟代理人弁護士

大貫端久

深澤信夫

同弁理士

【G】

【H】

【I】

【J】

両事件被告

【K】(以下「被告【K】」という。)

両事件被告

株式会社昭栄(以下「被告昭栄」という。)

代表者代表取締役

【L】

被告両名訴訟代理人弁護士

諸永芳春

中嶋郁夫

同訴訟復代理人弁護士

宮武洋吉

同訴訟代理人弁護士(ただし、227号事件のみ)

伊達俊二

増田径子

馬目順子

主文

特許庁が平成7年審判第13937号事件について平成10年6月23日にした審決及び平成7年審判第13936号事件について平成10年11月9日にした審決を取り消す。

訴訟費用は被告らの負担とする。

事実

第1請求

主文と同旨の判決

第2前提となる事実(当事者間に争いのない事実)

1  特許庁における手続の経緯

(1)  397号事件

原告らは、発明の名称を「経皮吸収性抗炎症剤配合のパップ剤」とする特許第1469541号発明(以下「本件原出願発明」という。)の特許権者である。

すなわち、本件原出願発明は、昭和53年11月2日、ラクール薬品販売株式会社(以下「ラクール薬品」という。)により特許出願(特願昭53-134483号)され(ただし、当時は、後記本件分割出願発明の分割前のものである。以下、「本件発明」と略称することがあるほか、本件原出願発明及び本件分割出願発明を合わせて「本件発明」ということもある。)、昭和61年12月11日出願公告され、昭和63年12月14日設定登録された。なお、特許庁長官に対し、昭和63年9月9日、出願名義人をラクール薬品から原告東光薬品に変更する旨の届け出がされ、昭和63年10月12日、出願名義人を原告東光薬品から原告ら(6社)に変更する旨の届け出がされた。

被告らは、平成7年6月28日、本件原出願発明の登録を無効とすることにつき審判を請求した。

特許庁は、この請求を平成7年審判第13936号事件として審理し、原告らは、平成7年12月11日訂正請求をしたが、特許庁は、平成10年11月9日、本件原出願発明の特許を無効とする旨の審決をし、その謄本は、同月24日原告らに送達された。

(2)  227事件

原告らは、発明の名称を「インドメタシン配合のパップ剤」とする特許第1543282号発明(以下「本件分割出願発明」という。)の特許権者である。

すなわち、本件分割出願発明は、上記特願昭53-134483号からの分割出願として、昭和62年8月29日特許出願(特願昭62-214182号)され、平成元年5月10日出願公告され、平成2年2月15日設定登録された。なお、特許庁長官に対し、昭和63年9月9日、出願名義人をラクール薬品から原告東光薬品に変更する旨の届け出がされ、昭和63年10月12日、出願名義人を原告東光薬品から原告ら(六社)に変更する旨の届け出がされた。

被告らは、平成7年6月28日、本件分割出願発明の登録を無効とすることにつき審判を請求した。

特許庁は、この請求を平成7年審判第13937号事件として審理した結果、平成10年6月23日、本件分割出願発明の特許を無効とする旨の審決をし、その謄本は、同年7月1日原告らに送達された。

2  本件発明の要旨

(1)  本件原出願発明(設定登録時)の要旨

カルボキシメチルセルロースナトリウム及び/又はポリアクリル酸からなる保水性基剤と、グリセリンからなる湿潤剤と、アルミニウム塩と、水とを配合したものからなり、インドメタシンが保水性基剤に対して全体重量の0.1~1.5重量%配合され、更にメントールが添加されていることを特徴とする経皮吸収性抗炎症剤配合のパップ剤。

(2)  本件分割出願発明の要旨

ポリアクリル酸ナトリウムからなる保水性基剤と、グリセリンからなる湿潤剤と、アルミニウム塩及び水とを配合したものからなり、インドメタシンが保水性基剤に対して全体重量の0.1~1.5重量%配合され、更にメントールが添加されていることを特徴とするインドメタシン配合のパップ剤。

3  審決の理由

(1)  本件原出願発明についての審決(以下「審決1」という。)の理由は、別紙審決書の理由の写し1(以下「審決書1」という。)に記載のとおりであり、審決1は、本件原出願発明の特許出願は、発明者でなくかつ特許を受ける権利を承継していない者が行ったものであり、訂正後の発明は、特許出願の際独立して特許を受けることができないものであるから、被請求人ら(原告ら)の訂正請求は認容することができず、本件原出願発明は、同じく発明者でなくかつ特許を受ける権利を承継していない者が行ったものであり、その登録を無効とすべきである旨判断した。

(2)  本件分割出願発明についての審決(以下「審決2」という。)の理由は、別紙審決書の理由の写し2(以下「審決書2」という。)に記載のとおりであり、審決2は、本件分割出願発明は、発明者でなくかつ特許を受ける権利を承継していない者が行ったものであり、その登録を無効とすべきである旨判断した。

第3審決の取消事由

1  審決の認否

(1)  397号事件

審決1(本件原出願発明)のうち、Ⅰ(経緯)は認める。

同Ⅱ(請求人適格)のうち、(ⅰ)(被告昭栄の請求人適格)は争い、(ⅱ)(被告【K】の請求人適格)は認める。

同Ⅲ(訂正の適否)のうち、ⅠないしⅢ(審決書1第5頁2行ないし14頁11行)は認める。

同Ⅲ(審決書1第14頁12行以下)のうち、(ⅰ)(職務発明の点。同14頁15行ないし19行)、(ⅱ)(明示的文書の不存在の点。同14頁末行ないし16頁7行)は認める。(ⅲ)(黙示的な承諾の成立の有無等。同16頁8行ないし22頁6行)のうち、原告らの主張内容(同16頁8行ないし12行)及び原告東光薬品らの平成7年5月26日付け回答書の内容(同18頁3行ないし13行)は認め、その余は争う。(ⅳ)(紛争解決合意書による解決の有無等。同22頁7行ないし30頁17行)のうち、紛争解決合意書の記載内容の認定(同22頁7行ないし24頁末行)及び原告東光薬品の主張内容(同27頁1行ないし18行)は認め、その余は争う。審決1の判断(同30頁18行ないし31頁7行)は争う。

同Ⅳ(無効理由について)は争う。

同Ⅴ(むすび)は争う。

(2)  227号事件

審決2(本件分割出願発明)のうち、Ⅰ(手続の経緯)、Ⅱ(本件特許発明(本件分割出願発明)の要旨)、Ⅲ(当事者の主張の概要)は、認める。

同Ⅳ(当審(審決2)の判断)中、1(請求人適格)のうち、(ⅰ)(被告昭栄の請求人適格)は争い、(ⅱ)(被告【K】の請求人適格)は認める。

2(特許を受ける権利の承継について)のうち、(ⅰ)(職務発明の点。審決書2第16頁16行ないし末行)、(ⅱ)(明示的文書の不存在の点等。同17頁1行ないし18頁8行)は認める。(ⅲ)(黙示的な承諾の成立の有無。同18頁9行ないし24頁9行)のうち、原告らの主張内容(同18頁9行ないし13行)及び原告東光薬品らの平成7年5月26日付け回答書の内容(同20頁4行ないし14行)は認め、その余は争う。(ⅳ)(紛争解決合意書による解決の有無。同24頁10行ないし32頁3行)のうち、紛争解決合意書の記載内容の認定等(審決書24頁10行ないし27頁2行)及び原告東光薬品の主張内容(審決書29頁4行ないし30頁1行)は認め、その余は争う。まとめ(同32頁4行ないし18行)は争う。

同Ⅴ(むすび)は争う。

2  取消事由(両事件共通)

審決は、被告昭栄の請求人適格についての判断を誤り(取消事由1)、被告【K】からラクール薬品への本件原出願発明の特許を受ける権利の承継についての認定を誤ったため(取消事由2)、本件原出願発明における訂正請求につき独立特許要件の判断を誤り、本件分割出願発明についても誤って冒認を理由に無効としたものであるから、違法なものとして取り消されるべきである。

以下、原告5社がした主張は、「ア’(原告5社)」のように表示し、それ以外は、原告ら(6社)の主張である。

(1)  取消事由1(被告昭栄の請求人適格)

冒認出願による無効の主張は、冒認された者のみが主張し得ると解すべきものである。なぜならば、冒認か否かは、冒認した者と冒認された者との間の問題にすぎず、被害者ではない第三者の関与すべき問題ではないからである。また、冒認した者とされた者との間で事後的に特許を受ける権利の譲渡の追認が行われることもあり得るのであるから、そのような場合には権利の存否が不安定な状況となる。

したがって、被告昭栄は、被告【K】がラクール薬品に対し本件発明について特許を受ける権利を譲渡していないことを理由に、本件発明についての特許の無効を主張することはできない。

(2)  取消事由2(特許を受ける権利の承継についての認定の誤り)

被告【K】は、本件発明について特許を受ける権利をラクール薬品に対して譲渡した。

この事実は、次の点から明らかである。

ア ラクール薬品の社長である【A】(以下「【A】」又は「【A】社長」という。)は、昭和52年8月末頃、被告【K】を採用するに当たり、同人に対し、給与25万円であること、研究開発部長としてパップ剤の研究開発をしてもらうこと、就業規則を示して、発明・開発したものについてはラクール薬品が特許申請することを説明し、その承諾を得た。

イ 被告【K】は、昭和53年10月頃、パップ剤にインドメタシンを入れたものが有効であるとの研究内容を、【A】社長に報告した。これを受けて、【A】社長は、被告【K】に対し、被告【K】を発明者とし、ラクール薬品を出願人として、本件発明について特許出願するように指示した。

ウ 被告【K】は、昭和53年10月頃、発明者を被告【K】、出願人をラクール薬品とする明細書等の出願書類の原稿を自ら作成した。

ラクール薬品は、その原稿を外注にてタイプ印刷し、それを被告【K】に渡した。被告【K】は、ラクール薬品の【M】専務から代表取締役印の押印を受けて、同年11月2日本件原出願発明の出願書類を特許庁に提出した。

エ 本件発明の特許出願以前のラクール薬品等の特許出願は、弁理士が代理人となって特許出願がされていたが、本件発明の特許出願から昭和55年5月以前にラクール薬品が行った特許出願は、弁理士が代理人となっていない。これは、被告【K】が自分で特許明細書を作成することができたためである。上記期間は、被告【K】が実質的にラクール薬品の研究開発部長を勤めていた期間と一致する。なお、被告【K】は、退職直前であった昭和55年5月頃には、ラクール薬品に不信感を抱き、【A】の指示にも従わない状況となっていたものである。

上記期間において、ラクール薬品や原告東光薬品において特許出願の明細書を書くことができる者は、被告【K】以外には存在しなかった。被告【K】は、当時の従業員である【N】や【O】には明細書作成能力があった旨証言するが、本件発明の特許出願当時、【N】は入社数三箇月にすぎないし(甲第15号証)、【O】は入社もしていなかった。

オ ラクール薬品においては、職務発明について特許を受ける権利は、使用者に譲渡される慣行の存在があった。

そのため、職務発明について特許を受ける権利は、昭和53年7月24日出願分までは【A】個人に譲渡され(甲第34号証の1ないし7)、昭和53年11月2日出願分以降については、ラクール薬品に譲渡されている(乙第3号証、甲第34号証の8ないし11)。

なお、「部長及び部員が業務上知得し特許として申請中のもの及び特許を得たものに関する一切の権利は、当社に帰属するものとする。」旨を定めている研究開発部運営規定(甲14号証4条(2))は、被告【K】退職後である昭和55年10月7日施行と記載されているが、これは、職務発明に関する研究開発部に慣行的に存在した従来の取扱いを確認する趣旨で設けられたものである。

カ 被告【K】は、本件発明は当初の明細書の特許請求の範囲に「従来の薬効成分も含むパップ剤中に」という記載部分があり、実施例中のパップ剤にメントールやカンフルが含まれているが、そのような実験は行っていない旨主張し、その理由として、メントールやカンフルには皮膚刺激作用があるのでこれを加えるとインドメタシンの消炎鎮痛効果を阻害するからである旨証言する。

しかし、本件発明の当初の明細書(乙第3号証)の1枚目右欄には、サリチル酸メチルの発症作用については記載されているが、メントールやカンフルの発症作用については記載されていない。また、主薬であるサリチル酸メチルの場合、メントールやカンフル等の補佐薬を配合した方が主薬単独の効果より薬効的に高い効果が出ることは広く知られていたのであるから、被告【K】がメントールやカンフルを含んだパップ剤の実験は行っていない旨の上記証言は信用し難い。

キ 被告【K】は、少なくとも本件発明がラクール薬品が出願人となって特許出願されていたことをラクール薬品在職中から知っていた。この事実は、次の点から明かである。

(ア) 被告【K】は、本件発明の特許出願後、本件発明に基づく製品の共同開発についてグレラン製薬株式会社(以下「グレラン製薬」という。)と協議を重ねていたものであり、この点は、グレラン製薬の【P】(以下「【P】」という。)が明確に証言しているところである。

(ア) ’(原告5社)第三者証人である【P】は、本件発明の特許出願後に被告【K】からインドメタシン含有パップ剤の出願をした事実を聞かされたこと、本件原出願の出願公開(昭和55年5月10日)前にタイプ打ちした本件発明の出願明細書のコピーを見せられたことを証言している。その証言内容は具体的かつ合理的であり、信用性が高いものである。

(イ) 被告【K】がラクール薬品に退社直前に送付してきた葉書には、「インドメタシン・パップ剤の場合、東光-ラクールの線では、現在のものでよいでしょうが、大メーカーに渡す場合は、製剤的に改善する必要があると信じています。もちろん薬理データはそれに従がいます。よい方向に進むことを祈ります。」と記載されている(甲第4号証⑤)。この記載は、上記(ア)のグレラン製薬とのインドメタシンパップ剤の共同開発の話を前提としなければ理解しえないものである。

(ウ) さらに、被告【K】がラクール薬品退職後に就職した日米臓器株式会社(以下「日米臓器」という。)によって特許出願された特願昭56-51178号発明(以下「日米臓器発明」という。)の明細書(甲第12号証)は被告【K】が作成したものであるが、その1頁右欄下から5行ないし末行には、「本邦特許に散見されるインドメタシン含有パップ剤は、経皮吸収性が低いことは当然のことで、その消炎作用は含有水分の揮発に比較的強く依存していると見てもよい。」と記載されている。当時公開されていたインドメタシン含有パップ剤の特許は、本件発明(乙第3号証)及び本件発明と同日に出願された特願昭53-134484号発明(甲7号証。以下「甲第7号証発明」という。)のものしかなかったが、「散見される」との用語は複数の特許を対象としたものであるから、被告【K】は、これらの特許出願を知っていたものである。

これらの特許出願の存在について、被告【K】は、公開特許公報等の文献を見ていない旨審判で証言し、さらに、もし見ていれば特許番号等を必ず記載するはずである旨証言する。しかしながら、この証言は、甲第12号証中に本件発明の上記問題点の指摘がされていることからすると、到底信用し得るものではない。また、甲12号証には、「市販医療用インドメタシン軟膏(1%含有)は、特許等にある・・・」との記載(1頁右欄10行、11行)や、「外国文献に見られるインドメタシン外用日焼け止め剤・・・」(1頁右欄14行、15行)との記載があり、これらの記載においても引用文献の記載はされていないものであるから、引用文献の正確な記載がないことをもって本件発明(乙第3号証)等の明細書を見ていないという被告【K】の証言は、到底信用し得るものではない。

(ウ) ’(原告5社)被告【K】がラクール薬品退職後に就職した日米臓器が行った日米臓器発明の特許出願の明細書(甲第12号証)には、「経皮吸収性が低いことは当然のことで、その消炎作用は含有水分の揮発に比較的強く依存していると見てもよい。」と記載されているが、この特許出願当時、インドメタシン含有パップ剤に関する発明で公開されていたのは、本件発明(乙第3号証)及び特開昭55-62014号公報(甲第7号証)のみであったところ、上記記載のように、この製剤の薬効が発揮される作用機序についてまで立ち入り、詳しく分析を行うには、実施例の具体的な処方を見る必要があるものであり、被告【K】が本件発明の明細書を見ていなかったことはあり得ないことである。

ク 以上のとおり、被告【K】は、本件発明についてラクール薬品が出願人となって特許出願されたものであることをラクール薬品在職中から知っていながら、ラクール薬品や原告東光薬品に対して、勝手に出願した等のクレームは全く行っていない。

この事実は、被告【K】が本件発明について特許を受ける権利をラクール薬品に対して譲渡したことを裏付けるものである。

ケ 紛争解決合意書(甲第1号証の2。以下「本件合意書」という。)四項の「乙(ラクール薬品)、丙(原告東光薬品)、甲(被告【K】)は、本条項に定める外一切の債権債務のないことを互いに確認し、互いに一切の債権債務のないことを確認し、互いに一切の権利主張を為さないものとする。」との規定は、本件発明の特許を受ける権利に関しては、ラクール薬品への譲渡を確認し、職務発明についての報償金について合意したものである。

コ 仮に、本件発明の特許を受ける権利の譲渡が認められないとしても、被告【K】は、ラクール薬品が特許出願していることを知っていたのであるから、本件合意書により、この特許を受ける権利の譲渡をしたものである。

サ 審決1、2は、平成7年5月19日付け催告書(乙第9号証)に対する同月26日付け回答書(乙第10号証)の記載を根拠に、上記回答書作成時以前においては、被告【K】が本件発明に基づく特許を受ける権利を有していたとの認識を使用者であるラクール薬品が有していなかったものであるから、ラクール薬品は、被告【K】からその特許を受ける権利の承継についての合意をとる必要がないと認識していたものである旨認定する。

しかしながら、この回答書が作成されたのは、平成7年5月であって本件発明が特許出願された昭和55年11月からは既に17年、本件合意書が締結された昭和55年6月からでも既に15年が経過しているのである。

そして、本件発明が特許となるまでには補正その他の手続がされ特許権成立までに相当の苦労があったこと、また、本件発明に基づく製品の開発においても相当の苦労があったこと、しかも、これらの苦労は被告【K】とは全く関係なくされたものであり、特許権の成立や製品の開発という観点からすれば、発明者としての被告【K】の占めるウエイトは低いものであると認識していたことを考えれば、【A】が、被告【K】だけが本件特許発明者ではないと考えても決して不自然ではない。

また、この回答書を作成した小川弁護士においても、その公報に被告【K】が発明者として記載されていることは承知していたものの、この回答書の目的が被告【K】の要求を断るためであったのであり、その便法として「発明者に該当するものではなく、」と記載したにすぎないのであるから、このような記載が、本件合意書作成当時においても【A】や小川弁護士が被告【K】が本件発明の発明者であると認識していなかったことの根拠となるものではない。

サ’ (原告5社)回答書(乙第10号証)は、被告【K】が本件発明の発明者であることを否定するだけでなく、特許を受ける権利の帰属をめぐる紛争は本件合意書によって解決済みであることを合わせて主張しているものである。被告【K】からラクール薬品に特許を受ける権利を与えたことがないことを指摘する本件の催告書のように、紛争の発生を十分にうかがわせる内容の書面を受け取った場合、過去の和解合意によって当該紛争については解決済みであると主張すると同時に、その前提事項についても念のため争っておくことは、紛争当初においてしばしば見られるところであって、回答書の一部の記載のみをとらえて、【A】らに被告【K】が発明者であるとの認識がなかったなどと認定することはできないものである。

シ 別紙3の表1は、各明細書を対比した甲第40号証の概略を示し、E列は、被告【K】が自ら作成したことを認めた日米臓器の出願に係る公開特許公報(甲第12号証)である。C、D列は、被告【K】がその作成を否定した本件発明の公開特許公報(乙第3号証)及び同日出願の公開特許公報(甲第7号証)である。A、B列は【A】と【Q】が発明者である発明の公開特許公報である。

この表1から分かるように、AないしE列は、特許明細書としては、いずれも不完全である。しかし、被告【K】自ら書いたE列の明細書の構成、本件発明であるC列の明細書の構成及び同日出願の発明であるD列の明細書の構成は、明らかにA列及びB列のものと異なっている。

すなわち、CないしE列の明細書の特徴は、発明の詳細な説明において「産業上の利用分野」及び「発明が解決しようとする課題」を明確に特定されず、いずれも「従来の技術」の説明の中で若干触れているにすぎない。さらに、発明の詳細な説明で最も重要となる「課題を解決するための手段」については、CないしE列の明細書は、いずれも全く記載されていない。これは、課題を解決するために必要な要件や排除すべき要件等の詳細な条件(この場合は、製剤設計)がないということであり、明細書作成者が製剤設計に関する知識に弱点があることの現れである。

これに対し、A、B列の明細書では、発明の効果に関する記載が弱いが、全項目にわたって詳細に記載されており、明細書の構成や発明に対する思想がCないしE列のものとは明らかに異なる。

これらの点は、CないしE列の明細書作成者は、A、B列の明細書作成者とは異なる同一人物であることを意味している。

当時、被告【K】はラクール薬品に入社して半年ないし1年であり、外用剤の製剤設計に関する知識が未熟であった。この点を考慮すると、C、D列の明細書は、E列の明細書を作成したことを認めた被告【K】自身によって作成されたもと考えるのが妥当である。

ス 別紙3表1のCないしE列の明細書には、ラット足蹠浮腫抑制試験の結果を表にして記載されている。

それらの表にはいずれも腫脹率と腫脹抑制率が記載されているが、そこにおける腫脹抑制率の計算方法は、

腫脹抑制率(%)=対照無貼用群腫脹率-薬物処置群腫脹率

というものである。

しかしながら、通常は、

腫脹抑制率(%)={(対照無貼用群腫脹率-薬物処置群腫脹率)/対照無貼用群腫脹率}×100

の方法で行う(甲第42号証)。

この点も、CないしE列の明細書が同じ人物、すなわち被告【K】によって作成されたことを示すものである。

第4審決の取消事由に対する認否及び反論

1  認否

原告ら主張の取消事由は争う。

2  反論

(1)  取消事由1(被告昭栄の請求人適格)に対して

審決が判断するとおり、被告昭栄は、本件原出願発明及び本件分割出願発明の特許を無効とすることにつき審判を請求する請求人適格を有する。

(2)  取消事由2(特許を受ける権利の承継についての認定の誤り)に対して

ア 原告東光薬品は、本件原出願発明の特許出願に使われた明細書(乙第3号証)は被告【K】が作成した旨主張する。

しかしながら、この点についての【A】の特許庁における証言は、虚偽である。

(ア) 上記明細書(乙第3号証)は、過去の特許である甲第34号証の3(特願昭50-14441号)及び甲第34号証の7(特願昭53-90123号)の特許明細書を切り張りし、被告【K】の実験データの一部を改竄した捏造データを基に実験例を書き上げた不正文書である。このような杜撰かつ不正な文書を、誠実な実験者である被告【K】が書くわけがない。

(イ) 被告【K】は、「薬理と治療」(乙第11号証)に、パップ剤の薬理学的フォローの研究を載せているように、同人の研究者としての姿勢は、真面目に詳細かつ精緻な実験を重ね、内外の文献に当たるいうものであり、データを改竄したり、捏造するような人物ではあり得ない。

(ウ) これに反し、【A】は、捏造データの杜撰な特許でも一日でも早く出願すれば何らかのメリットがあることを知っていた。すなわち、乙第14号証(特公昭54-11365号)の特許は、渡辺薬品工業株式会社との共同出願となっているが、その前に【A】の単独出願があり、渡辺薬品から異議が出て、和解により共同出願としている。

イ 原告東光薬品は、被告【K】がグレラン製薬と開発の協議をしたことをその根拠として主張する。

しかしながら、グレラン製薬は本件発明の特許を受ける権利の譲渡先でもなく、被告【K】がグレラン製薬と開発の協議をしたことは、何ら原告東光薬品主張の黙示の合意の存在を示すものではない。

ウ 原告東光薬品は、職務発明について使用者が特許を受ける権利を取得する慣行があったことを根拠に挙げる。

しかしながら、これまでの特許出願が【A】の名義でされていることなどは、社長個人が社員の特許を盗んだことを示すものであり、何ら原告東光薬品の主張する慣行の存在を示すものではない。

エ 原告らは、日米臓器発明の特許出願の明細書(甲第12号証)中の「散見される」との記載に基づく主張をする。

しかし、上記「散見される」という言葉からは本件発明の出願明細書を見たというところまでは判断することができない。被告【K】が本件発明の出願明細書の存在を知らなかったことについては、同人が特許庁における証言において断言している。仮に被告【K】が特許出願の事実を文書で確認していれば、学者としての良心から、特許番号等記載しているはずであるのに甲第12号証にはそのような記載はない。

さらに、原告らは、甲第12号証中の「経被吸収性が低いことは当然のことで、その炎症作用は含水分の揮発に比較的強く依存していると見てもよい」等と記載されていることを根拠に、被告【K】が本件発明の明細書を見ていなかったということはありえない旨主張する。

しかしながら、被告【K】は本件発明の特許の基礎になる実験をした本件発明の発明者であり、製剤の薬効が発揮される作用機序に立ち入り、分析を加えることなどは容易にできることであるから、上記の指摘は、本件発明の発明者である被告【K】に対する批判としては全く的を得ていない。

オ 原告東光薬品は、ラクール薬品や原告東光薬品において代理人によらないで特許出願が行われていたのは、本件発明の特許出願以降被告【K】が実質的に研究開発部長を勤めていた期間だけであることをその根拠として挙げる。

しかし、このような論理は導けない。昭和53年12月5日に出願された【R】を考案者とし、ラクール薬品を出願人とする実用新案登録出願(甲第34号証の9)及び昭和54年3月3日に出願された【N】を考案者とし、ラクール薬品を出願人とする実用新案登録出願(甲第34号証の11)も被告【K】がその明細書を作成したなどということはあり得ないことである。

カ 【P】は、特許庁における証言において、本件発明の出願前に、特許出願をした方がよいとアドバイスし、その出願のために明細書の書き方の相談を受けたことまで記憶があったことから、出願後に明細書の書き方をアドバイスしたことへと証言内容を変更しているが、記憶違いであったと考えるに至った納得できる因果関係は何ら説明されていないものであり、同人の証言は、到底信用することができるものではない。

キ 原告らは、別紙3の表1CないしE列の明細書の記載は、同一の特徴を有し、製剤に疎い被告【K】によって作成されたものである旨主張する。

しかし、A列はジアルデヒド澱粉を、B列はCMC(カルボキシメチルセルロース)を主原料とするいずれもパップ剤基剤の製法に関する出願であるのに対し、CないしE列は、いずれもインドメタシンなどの薬効成分を経皮吸収させることを特徴とするパップ剤等に関する出願である。したがって、基剤の製法に関する出願であるA、B列のものが製剤について詳しくなることは当然のことである。他方、パップ剤貼付で薬効成分を経皮吸収させることを特徴とする発明の明細書は、その目的である薬効の抗炎症性大なることを確認しなければならないことは当然のことであり、かつそれで足りることである。明細書の特徴の違いは、一方が基剤についての出願で、他方が薬効に関する出願であることの違いからくるものにすぎない。

ク 原告らは、被告【K】の採用する腫脹抑制率は通常の方法と異なる旨主張するが、原告ら主張の通常の腫脹抑制率は、被告【K】の腫脹抑制率と同じ要素を使用し、その抑制率を増幅し倍率を上げただけのもので何ら本質は異ならないものであるから、被告【K】が採用する腫脹抑制率は何ら特殊なものではない。

さらに、甲第42号証は、本件発明の特許出願日の9年後の1987年を初版の年とする文献であり、本件発明の特許出願当時使用されていた通常の腫脹抑制率が何であったのかを示すものではない。

理由

1  取消事由2(特許を受ける権利の承継についての認定の誤りについて)について

(1)  本件発明の発明者が被告【K】であり、該発明がラクール薬品在職中にされたものであり、特許法35条1項に規定する職務発明であることについては、当事者間に争いがない。

(2)  甲第7号証、第11号証、第32号証の1、2(【A】の審判手続における証人調書)及び乙第3号証によれば、被告【K】は、昭和52年9月6日から昭和55年6月5日までラクール薬品に研究開発部長として在職していた者であるが、昭和53年7月頃、ラクール薬品の【A】社長に対し、インドメタシンを含有するパップ剤の実験で良好な結果が得られたことを報告し、それ以後もインドメタシンを含有するパップ剤の研究を進めていたこと、【A】社長は、同年10月頃、上記研究が特許出願すべき段階に達したと判断し、被告【K】に対し、被告【K】を発明者とし、ラクール薬品を出願人として、本件発明及び発明の名称を「皮膚刺激作用を有しない水性パップ剤」とする甲第7号証発明について特許出願するように指示し、被告【K】はこれを了承したこと、被告【K】は、発明者を被告【K】、出願人をラクール薬品とする本件発明及び甲第7号証発明についての出願明細書を含む出願書類の原稿を自ら作成し、外注によりタイプ印刷後、ラクール薬品の代表者印の保管責任者である【M】専務取締役からその代表者印の押印を受けて、同年11月2日、同明細書を含む出願書類を特許庁に提出したことが認められる。

(3)  当裁判所は、上記認定事実に関しては、甲第32号証の1、2(【A】の審判手続における証人調書)等が信用することができ、これに反する甲第30号証(被告【K】の審判手続における証人調書)、乙第1号証(被告【K】作成の証明書)等は信用し難いと判断するものであるが、その理由は、以下のとおりである。

ア(ア)  乙第3号証及び甲第7号証によれば、本件発明及び甲第7号証発明の出願は、弁理士等の代理人を依頼せずにされていることが認められ、この事実によれば、乙第3号証の本件原出願発明の出願明細書は、ラクール薬品のだれかによって作成されたものと認めざるを得ない。

そして、甲第30号証からも、本件発明の出願明細書(乙第3号証)の第1表に記載された実験は、主に被告【K】が担当していたものであり、パップ剤にインドメタシンを含有させることは当時としては画期的な研究であったことが認められ、甲第15号証、第32号証の1、2から認められる当時のラクール薬品の研究開発部の構成メンバーに照らすと、本件発明の出願明細書を作成することができた者は被告【K】である可能性が大きいものと認められる。

(イ) 被告らは、特許庁における【A】に対する反対尋問(甲第32号証の2)の中で、本件発明の出願明細書を被告【K】が作成したものではないことの根拠として、【A】を発明者及び出願人とする特公昭54-11365号公報(甲第34号証の3。乙第14号証)及び【Q】を発明者とし、【A】を出願人とする特開昭55-17347号公報(甲第34号証の7。乙第15号証)と本件発明の出願明細書(乙第3号証)との表現の類似を指摘するが、甲第34号証の3、7及び乙第14、第15号証並びに弁論の全趣旨によれば、上記甲第34号証の3及び7の出願は、前者が昭和50年2月5日、後者が昭和53年7月24日であり、いずれも本件発明の出願前であって、しかもいずれも代理人である弁理士によってされており、その各出願明細書は当然ラクール薬品に保管され、研究開発部に属する者がそれを読むことができたものと認められるところ、本件発明の出願明細書(乙第3号証)を作成した者が、上記のように保管されていた甲第34号証の3及び7の明細書を参考に使用して乙第3号証の本件発明の出願明細書を作成したとも考えられ、乙第3号証の表現と甲第34号証の3及び7の表現に類似があるとしても格別不合理ではなく、被告ら指摘の出願明細書における表現の類似をもって、乙第3号証が被告【K】の作成に係るものではないと認めることはできない。

かえって、甲第7号証、第12号証、第30号証及び乙第3号証並びに弁論の全趣旨によれば、被告【K】が、ラクール薬品を退職して日米臓器に就職した後の昭和56年4月7日に、自ら明細書を作成したと自認している日米臓器発明の出願明細書(甲第12号証)の構成と本件発明の出願明細書(乙第3号証)及び甲第7号証発明の出願明細書の構成とは、類似している面もあり、いずれもラット足蹠浮腫法による試験結果が表として記載されていて腫脹抑制率の計算方法も同一であることが認められ、むしろ本件発明の出願明細書も被告【K】が作成したものであっても不自然とはいえないところである。

(ウ) 被告らは、本件発明の出願明細書(乙第3号証)は、過去の特許である甲第34号証の3(特願昭50-14441号)等の特許明細書を切り張りし、被告【K】の実験データの一部を改竄した捏造データを基に実験例を書き上げた不正文書であり、このような杜撰かつ不正な文書を誠実な実験者である被告【K】が書くはずがない旨主張する。

確かに、インドメタシン含有のパップ剤の薬効を証明するためには、対照無貼用群、基剤のみ貼用群、インドメタシン含有のパップ剤貼用群の3群に分けた実験結果が必要であるのに、乙第3号証ではそのような実験データが記載されていないことが認められるが、この点は、被告【K】が特許出願につきさほど熟達していなかったこと(この点は弁論の全趣旨により認められる。)を考慮すれば、被告【K】が本件発明の出願明細書(乙第3号証)を作成したと認定することを妨げる事情とまでは認められない。

さらに、本件発明の出願明細書(乙第3号証)の第2表では、インドメタシンを含有した試料のデータが含まれていないことが認められる。しかしながら、乙第3号証によれば、出願当初の本件発明の特許請求の範囲の記載は、「従来の薬効成分も含むパップ剤中に不揮発性の経皮吸収性抗炎症剤すなわちインドメタシン、フェニールブタゾン、メフェナム酸、・・・等の化合物、・・・等の天然物および副腎エキス・・・の混合物・・・等を配合するを特徴とする水性パップ剤。」というものであったことが認められ、この事実によれば、出願当初の本件発明は、その特許請求の範囲に記載された多数の配合剤のいずれかをパップ剤に配合することを特徴とするものであり、インドメタシンを含有することが必須の要件ではないことが認められる。そして、乙第3号証によれば、本件発明の当初の出願明細書には、実施例1ないし3にはインドメタシンを加えることが記載されており、実施例4の第1表には、インドメタシンの有用性を示す具体的データが記載されていることが認められる。そうすると、実施例4の第2表にインドメタシンを含まない実験結果が記載されていることは、何ら不自然なことではないものと認められる。

したがって、被告らの上記主張は採用することができない。

イ  甲第2号証(【A】の平成7年12月8日付け供述書)、甲第11号証(被告【K】の従業員名簿)、甲第17号証(被告【K】の退職とどけ)、甲第30号証及び甲第32号証の1、2によれば、被告【K】は、昭和52年9月6日、ラクール薬品に研究開発部長として入社し、研究開発部のトップとして医薬品の研究開発業務に携わっていたが、昭和55年5月頃、品質管理試験責任者として同人の名義が冒用されるなどしており、これ以上ラクール薬品に勤務することはできないと考えるに至り、同年5月22日に退職の申出をし、同年6月5日付けでラクール薬品を退社したことが認められるが、本件発明及び甲第7号証発明につき特許出願された昭和53年11月当時、被告【K】に無断で本件発明等につき特許出願をせざるを得ないほどに、被告【K】とラクール薬品との関係に問題があったことを認めるに足りる証拠はない。

ウ  甲第2号証(【A】の供述書)、甲第3号証(【P】の平成7年12月8日付け供述書)、甲第31号証(【P】の審判手続における証人調書)及び甲第32号証の1、2によれば、昭和53年春頃、グレラン製薬(武田薬品工業株式会社の関連会社)が、ラクール薬品に対し、ラクール薬品が開発したパップ剤を導入したいとの申し入れをし、以後、【P】らをグレラン製薬の担当者とし、【A】社長及び被告【K】をラクール薬品の担当者として、両社の間で価格交渉等が行われていたが、その中でパップ剤を共同開発する話も出されたこと、そのような話の中で、【P】は、被告【K】から、インドメタシン含有のパップ剤について特許出願したことを聞き、【A】社長に申し入れて、本件発明の出願公開(昭和55年5月10日)の前に、被告【K】同席の場で、その出願明細書(乙第3号証)のコピーを見せられたことが認められる。

被告らは、【P】の供述書(甲第3号証)における供述と特許庁における証言(甲第31号証)との間に変遷があること等を根拠に、【P】の証言には信用性がない旨主張するが、その証言内容は具体的であり、また、その証言が18年前の事柄についてのものであることを考慮すると、その供述内容の変遷等から【P】の上記特許庁における証言を信用することができないものと認めることはできない。

エ  甲第12号証及び甲第30号証によれば、被告【K】は、ラクール薬品退職後、日米臓器に就職し、昭和56年4月7日、名称を「インドメタシン外用剤」とする日米臓器発明につき、自ら出願明細書を作成し、発明者を被告【K】、出願人を日米臓器として、弁理士に依頼せずに自分で特許出願手続を行ったことが認められる。そして、甲第12号証によれば、上記明細書中に、「本邦特許に散見されるインドメタシン含有パップ剤は、経皮吸収性が低いことは当然のことで、その消炎作用は含有水分の揮発に比較的強く依存していると見てもよい。」(1頁右下欄16行ないし末行)との記載があることが認められ、この記載によれば、被告【K】は、遅くとも日米臓器発明を出願した昭和56年4月7日までには、本件発明及び甲第7号証発明の出願明細書の内容を知っていたものと推認される。

被告【K】は、特許庁における証言の中で、昭和56年3月頃、出願されたことだけは知ったが、その出願明細書は読んでいない旨証言するが、乙第3号証及び甲第7号証の出願明細書をを読まずに上記「本邦特許」に関する記載をすることは困難であると認められ、その証言内容自体不自然であることからすると、被告【K】の上記特許庁における証言は、昭和56年3月頃初めて本件発明等の出願の事実を知った点を含め、信用することができない。

オ  ところで、甲第1号証の2、第5号証、第6号証、第33号証及び乙第8号証によれば、被告【K】は、ラクール薬品を退職した頃、代理人小山三代治弁護士に依頼して昭和55年6月4日付け内容証明郵便をもって、ラクール薬品及び原告東光薬品に対し、キクノールAに関する薬理試験結果等に被告【K】の名義を冒用したこと等を理由とする損害賠償及び慰謝料などを求める通知をしたことから、上記小山弁護士とラクール薬品らの代理人小川大作弁護士との間で交渉が行われたこと、その結果、同年6月30日に合意が成立し、両代理人の間で紛争解決合意書(甲第1号証の2)が取り交わされたものであるが、その合意書には、被告【K】が6月5日付けをもってラクール薬品らを退職したことを確認する(1項)、ラクール薬品らは被告【K】に対し、退職金並びに紛争解決金(小山弁護士の原案では「退職金並びに慰労金」となっていたものが、小川弁護士の修正提案により「退職金並びに紛争解決金」となったもの)として、150万円を支払う(2項)、被告【K】の在職期間中に発生した問題については、各自自己の責任において誠実に処理し、互いに迷惑をかけないものとする(3項)、本条項に定める外一切の債権債務のないことを互いに確認し、互いに一切の権利主張をなさないものとする(4項)旨定められていたこと、ラクール薬品らは、この合意における金員の支払が本件発明等についての被告【K】に対する報償金(補償金)の支払をも含むものと理解していたこと、その後、後記のとおり、平成7年5月までの約15年間、被告【K】からラクール薬品らに対し本件発明に関する権利主張はされたことがなかった事実が認められる。

そして、乙第9号証によれば、被告【K】は、平成7年5月19日付けで、ラクール薬品に対し、本件発明の職務発明者である被告【K】は、その権利を同社に与えたことはないので、反証の証拠があれば開示することを求める旨の催告書を送付したことが認められる。

上記催告書の送付は、被告【K】がラクール薬品を退職し、ラクール薬品らとの間で上記認定の合意が成立した昭和55年6月から約15年後のことであり、被告【K】が乙第3号証等の出願の事実のみは知ったと自認する昭和56年3月からでも14年後のことである。

これらの事実によれば、仮に被告【K】は、特許庁におけるその証言どおり、昭和56年3月に初めて本件発明の出願を知ったものとしても、ラクール薬品がしたという冒認の事実を知りながら長期間権利主張をしなかったことになるが、このような行動は、自己が本件発明の職務発明者であり、ラクール薬品に特許を受ける権利を譲渡していない旨の主張と矛盾するものである。

カ  乙第10号証によれば、被告【K】の平成7年5月19日付けの前記催告書に対し、ラクール薬品は、同月26日付け回答書により代理人小川弁護士名で回答したが、その中には、「製品開発者欄に東光薬品の開発部長催告人名が記載されているだけであって発明者に該当するものではなく、」との記載があることが認められる。

この記載は、文字どおり理解すれば、ラクール薬品が当時被告【K】を本件発明の発明者と理解していなかったと解する根拠となり得るものではある。しかし、この回答書が、前記オで認定したとおり、被告【K】からラクール薬品退職後約15年経過して送られてきた催告書に対するものであること、また、上記回答書全体の趣旨は、上記記載の直後に、「特にこの件については今回と同じように催告人から紛争がもちこまれ催告人の代理人小山三代治弁護士と回答者会社代理人私(小川弁護士)との間で折衝がなされた結果昭和55年6月30日付紛争解決合意書が取交わされ回答者会社が催告人に解決金150万円を支払うことで両者間の一切の紛争が解決し他に一切の債権債務がないということで終了しているものです。よって今回の申出には応ずることができません。」と記載されているとおり、専ら被告【K】との間の紛争や権利義務関係が既に15年前に解決済みであるという点にあるものと認められること、並びに当事者間に争いのない本件発明が設定登録(本件原出願発明は昭和63年12月14日、本件分割出願発明は平成2年2月15日)されるまでの経緯及びその間被告【K】はラクール薬品退職後何ら関与していなかったことからすると、上記回答書中の「催告人名が記載されているだけであって発明者に該当するものではなく、」との記載を過大視することはできず、これをもって、ラクール薬品が研究開発部長であった被告【K】に無断で本件発明の出願をしたものであり、したがって特許を受ける権利の承継はあり得ないものと認定する根拠にすることはできない。

キ  なお、被告らが主張する、ラクール薬品がキクノールAに関する薬理試験結果を被告【K】の名義を冒用して作成したり、薬事法違反の製品を製造した(乙第8号証)等の事実は、仮にそのような事実が認められるとしても、上記認定の諸事実と総合して考慮すると、前記(2)で認定した事実関係については、甲第32号証の1、2(【A】の審判手続における証人調書)等が信用することができ、これに反する甲第30号証(被告【K】の審判手続における証人調書)等が信用し難いとの判断を左右するに足りるものではない。

(4)  前記(2)に認定の事実によれば、被告【K】は、昭和53年11月2日にされた本件原出願発明についての特許出願までの間に、ラクール薬品に対し、本件原出願発明につき特許を受ける権利を譲渡したものと認められる。

そうすると、本件発明につき冒認を根拠に独立特許要件不充足又は無効を主張する被告らの主張は理由がなく、原告ら主張の取消事由2は、いずれの事件についても理由がある。

2  結論

以上によれば、両事件における原告らの請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由があるから、これらを認容することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 永井紀昭 裁判官 塩月秀平 裁判官 市川正巳)

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